みなさん、こんにちは。
長崎県諫早市小長井町の漁師、『宝の海のお届け人、植木』です。
牡蠣の種付けを始めて、約一か月。
約3000本の牡蠣の種をイカダに下げるのも、
終わりは、近い!
2/3は、父が作業しましたが、今までこの作業を父が一人でしていたと考えたら、頭が下がります。
怒られない日は無い位、怒られまくってますが、尊敬の念は持ってます。
面と向かっては言えませんけど(笑)
最高裁判所。
さて、4月25日に国会行動に参加してきました。
早朝から、
最高裁判所裏口前で、街宣活動。
私もチラシを手に配りましたが、なかなか受け取ってくれません。
感じたのは、『東京の人は歩くのが速いな』という事。
ではなく、『どうやったら受け取ってもらえるか、興味関心を持ってもらえるのか、事前に考えておかないといけないな』という事。
しかも、マイクを持っても話をさせて頂きました。
いきなりだったので、何を言おうか整理もつかないままマイクを握り、自分の気持ちを声にしました。
事前準備が足りなかったなと反省しつつ、次回に活かします。
街宣活動が終わると、最高裁判所内で裁判官の方に陳述書を提出。
ここでも私からの訴えをさせて頂きました。
いや、本当に訴えた訳ではありませんよ。
国会議員会館。
最高裁判所から歩いて10分程、
ここでも国会議員さんを前に私の訴えを聞いて頂きました。
あっ、私の訴えとは・・・
『小長井町で生まれ育ち、今後の人生もこの町で過ごす私。この町には豊かな海と山々が必要不可欠。このままだと諫早湾は死の海と化し、さらに町の衰退が進み、後世に引き継ぐ事も出来ない。死を迎える時、そいう状態だと後悔が残る。有明海復活は私の使命だと思い、この思いを伝えたく東京に来ました。』
端的にまとめると、こんな感じです。
その思いを
管元総理にも伝えたかったのですが、お忙しいようで握手だけに終わりました。
が、総理大臣時代に「排水門を開けて、有明海を綺麗にする。この司法の判断は大変重いものだと判断し、上告をしないという判断を下した」その時の気持ちをご本人から聞けて、大変よかったです。
結局、門は開かないままですが、一度確定した司法の判断を国は守らず、放置状態。
死刑判決が出たのに犯人を野ばらしにしているのと同じですよ。
正直『宝の海』と呼ばれた有明海を私は知りません。
諫早湾干拓事業に直接かかわった当事者でもありません。
でもそれによって漁師さん、親の人生が狂い、その影響は私も受けています。
私は、この有明海の未来を考えています。
私は、訴え続けます。
その覚悟があるから。
少し熱くなりました・・・(笑)
また6月にも行く予定ですので、いきなりの振りにも動じないよう事前準備をして臨みます。
そいぎんた、また。